あけましておめでとうございます。今年も一年よろしくお願い致します。
年も明けたことなので、新年の抱負でも書こうかと思います。
今年は「目に見える能力」を身につける一年にしたいです。21年間、ハッタリをかまし続けて、それっぽい感じだけだして生きてきました。なので、実績と共に「目に見える能力」を求めてやっていきたいなーと。まぁ色々と思うことはありますが言い過ぎてもアレなので。笑
「タバコを減らす」だとか「早寝早起き」とか色々思うのですが実現不可能なこと言っててもしょうがないので、習慣系では「筋トレ」を日課にしたいと思います。(超ベタ)
話は変わって、
先日実家に帰った時、中学生の時に自分が書いた作文に良さげなこと書いてあって、去年色々と失った大切なものを思い出したのでそれ書いて終わります。
ー「友情」や「信頼」とは「橋」のようなものだ。築きあげるのには膨大な時間や労力を費やすにも関わらず、壊れてしまうのは一瞬でとても簡単に壊れてしまう。(多摩市立豊ヶ丘中学校三年 廣瀬大士)ー
こっぱずかしいですが、ほんとその通りだなーと。恐らく当時は何かの受け売りで買いているのでしょうが。色々と大切なものはたくさんありますが、今まで以上に「友達」を大切にする一年にしたいです。
超思いつきで書いたのでさらっとこの辺で。また気が向いたら更新します。
7/6(Wed)、今日は僕の所属しているSen-iのMTGの日だったのですが、早稲田大学文化構想学部複合文化論系主催の 「東京のリアルを発信する、ミキオサカベの試み」 へ行って来た。
僕自身、ファッションは大好きだけどデザイナー坂部三樹郎については、話題を呼んだ最新コレクション、エンテーテイメント性に富んだショーを展開すること、あとはざっくりとした経歴ぐらいしか知らなかった。要するにほぼ無知の状態で講演会へ行った感じ。
最初は、知識なくて大丈夫かな〜とか思ってたんだけど、結果から言うと色眼鏡をかけずに講演会を聴けたので悪くはなかったのかなと。で、本題というか講演会の内容に移るんだけど、僕はメインコンテンツは大きく分けて以下の5つだったと思う。
- 日本の服飾学校とアントワープ王立アカデミーの差異
- 海外生活を通して見えてきた日本像
- 最新コレクションについて
- ブランド「ミキオサカベ」の方向性
- 質疑応答
1に関しては、アントワープ出身のデザイナーさんがよく言う話って感じ。それを課題のテーマだったり、途中でドロップアウトしてった人数だったりと具体的に話してくれた。面白かったのは、先生のアドバイス通りに作ってコンペに落ちたという話。それって要は、他の誰でもなくデザイナー自身が全ての責任を担っているってことを学生のうちに教えられるということ。
2に関しては、8年間の渡欧生活を踏まえての話。言い換えるなら、客観的に日本を見るということはどういうことかという話。
「日本という国は何が特殊なのか、何が特殊じゃないのか」とか、「ヨーロッパと日本のファッションの根底を支えるものとは何か」みたいなね。例えば、ヨーロパのファッション(特にパリ)とかって歴史やヒエラルキーありきのファッションだったりとかするんだけど、日本の今のファッションってそういうの全部無視で、かっこよきゃ(かわいきゃ)いいじゃん!的風潮。
だから視覚的にも値段的にもごちゃごちゃになってってる(良く言えばMIXされてる)。これって結構悪いイメージにされがちだけど、三樹郎さんはこの融合(ストリート&モード)こそがTOKYOの持つファッションの魅力って言ってたし、僕もそう思う。Tops:RAF SIMONS Inner:UNIQLO Bottoms:UNIQLO Shoes:Rick Owens みたいなこと平気でやっちゃうやつね。
モードって文脈から見たらこれってかなり実験的ですねー。
お次は3について。
今回のコレクションは多方面で話題を呼んだし、みんな一度は何かしらで目にしたと思う。
なんてったって、ファッションの対極に位置していたと行っても過言ではないA-POPカルチャーを融合したんだから。ショーの会場も六本木のTSUTAYAだったりして。
で、結局何がしたかったかって「服を介して新しい人間像の出現」の一言に尽きると思う。いわゆる2.5次元ってやつ。好き嫌いは必ずあるとは分かっていたけど、何かを残したかったと三樹郎さんは言ってた。客、アイドル両方がいないとああいうA-POP独特の一体感って絶対生まれなくて、あの一体感って絶対ファッションにはないものだし、インタラクティブで新しいなーとか僕も思った。
ではでは4について!
一貫した方向性ってファッションにおいて結構難しかったりすると思う。実際、ビジネスとしての成功がないと「一貫性」とか言ってらんないしね。そんな中で三樹郎さんは「人が自身の一貫したテーマ」と言い切ってました。従来のドメスティックデザイナーって「強い女性像」みたいなのを一貫したテーマにもってるところが多かった。それに対して「人」。人と○○、人と△△みたいな。かつ時代に寄り添った服。これがミキオサカベ。
そっからモードの小ささに対する危機感の話になりここの学校の話へ。
5の質疑応答ではみんな色んな質問してました。
最後はちょっと割愛した感じになっちゃいましがこんな感じでゆるっと書くのが僕のtumblr
滅多に更新しなくて気が向いたときにゆるっと更新するみたいなね〜。論文じゃないし。
ではでは。
"ある大学でこんな授業があったという。
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。
壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」
そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。
教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」
一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう"
— このコピペは素晴らしすぎた (via akatuzak)
1000年ぶりに日記的なものを書きます。「tumblrってそういうツールじゃねぇよ!」みたいな批判は残念ながら受け付けておりません。自分としてはtumblrは何でもアリだと思っているので。今後も僕はブログとして使い続けていきます。リブログとかももちろんしますけど
まあ話は本題へ。本題と言っても特に書きたいことなんかないんですが。
ってなってくると結局「近況を綴る」みたいな展開は避けられない。
って訳で先日行ってきた「ソーシャルアートの可能性@渋谷FACTORY」のことを書こうかと思う。一部でグラフィティのドキュメンタリー「インサイド/アウトサイド」の上映会をして二部でインディペンデントキュレーターの窪田さん、Chim↑Pomの卯城さんと林さんのゲストトークという構成でした。
僕自身アートはあまり好きではないので最初は全く行く気がしなかったのですが、「モノ創り」という点では何か得られるものがあるのではないかと思い参加しました。
アートってどこか高尚で、分かる人にしか分からない。これが分からないのならそれはあなたの勉強不足ですよ。って言われてるみたいな偏見が僕にはあって。まぁ他にも理由はあるんですけど省きます。
一部の「インサイド/アウトサイド」ですが、60分程度の短い映画で見やすかったです。ZEVSとかBANKSYみたいなヨーロッパ、アメリカ、ブラジルなどのグラフィティアーティストを順に追ってくみたいな展開でした。普通に面白かった。
次に二部ですが、これは非常に有意義な時間でした。僕自身、グラフィティやChim↑Pomさんに対する知識は無に等しかったのですが非常にいい「感覚」を教えていただけた気がします。トークの内容は主に二つ。
ソーシャルアートって定義がはっきりと無いぶん、ファジーな感じは否めないんですが、僕が今回のトークで思ったのは、ソーシャルアートは完全にマスオーディエンスにターゲティングしているということです。現在の日本ではアートに詳しい人がマーケットを独占している分、「売れるもの」はアートに詳しい人が好むもの。要するにメインストリームに一般人が介入する余地がないのですね。そのカウンターカルチャーとして誰しもが持っている社会性を含んだソーシャルアート。そこには美術史を知らなくても分かる素晴らしさやエンタメ性が含まれているのだなぁと。特にピックアップされていたのは「グラフィティ」。ストリートアートですね。
「ストリートアートはパトロンがいなくてもサヴァイブできる。ストリートには作品名のないアートがあふれている。」わかってはいたけどかっこいいな〜と思いました。「かっこいいの一言で片付けんなよ!」と言う批判は受け付けません。だってかっこいいもんはかっこいいもん。それ以上でもそれ以下でもない。
あと卯城さんは何度も何度も「面白いことをやりたい」と言っていました。これは僕もよく言うことなのですが「面白いってどういうことなのだろう」ってもう一回しっかり考えなきゃなと思いました。多分卯城さんの中で「面白いこと」って確立されてるんだけど、僕にはまだそれはないなぁと。
今後もちょいちょいこういう場に足を運んで行けたらなと思ってまーす。
ほんとはもっと詳しく書こうと思ったけど、あんまり長く書くのは性に合わないのでこのへんで。
(出典: uplink.co.jp)